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東京地方裁判所 平成7年(ワ)24832号 判決

原告

株式会社アニマルシューズ

右代表者代表取締役

右訴訟代理人弁護士

斉藤博人

清水洋

安田耕治

金竜介

被告

株式会社東日本銀行

右代表者代表取締役

右訴訟代理人弁護士

田口尚眞

右訴訟復代理人弁護士

小池郁男

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金五五四万五〇〇〇円及びこれに対する平成六年六月六日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、有限会社デボラ(以下「デボラ」という。)が被告に手形・小切手の不渡異議申立手続を委任して預託していた預託金の返還請求権を差し押さえた原告が、被告にその支払を求めた事案である。なお、附帯請求の起算日は、デボラが被告に右預託金の返還を請求した日である。

一  争いのない事実等

1  デボラは、別紙手形小切手目録≪省略≫記載の小切手一通及び約束手形三通(金額合計五五四万五〇〇〇円、以下「本件手形・小切手」という。)を振り出した。

2  デボラは、被告に対し、本件手形・小切手について、取引停止処分を免れるため、不渡届に対する異議申立てを依頼し、次のとおり、本件手形・小切手金合計額に相当する五五四万五〇〇〇円を預託した(以下「本件預託金」という。)。

(一) 平成六年五月九日    三八五万円

(二) 同年 同月一〇日    一一〇万円

(三) 同年 同月二〇日     三三万円

(四) 同年 同月二三日 二六万五〇〇〇円

3  被告は、東京手形交換所(社団法人東京銀行協会、以下「手形交換所」という。)に対し、それぞれ本件預託金と同額の金員を異議申立提供金として提供し、異議申立手続をしたが、デボラの依頼により、平成六年六月六日、異議申立てを取り下げ、被告は、同月七日、手形交換所から異議申立提供金の返還を受けた。

4  原告は、東京法務局所属公証人C作成の平成六年第六二七号債務弁済契約公正証書の執行力ある正本に基づき、東京地方裁判所に、デボラを債務者、被告を第三債務者とし、本件預託金の返還請求権を被差押債権とする債権差押命令を申し立て(同裁判所平成七年(ル)第二二三〇号事件)、同裁判所は、平成七年四月二〇日、債権差押命令を発令した。この債権差押命令の正本は、同年五月二三日デボラに、同年四月二一日被告に、それぞれ送達された(≪証拠省略≫)。

二  争点

1  本件預託金の弁済

(被告の主張)

被告は、平成六年六月七日、本件預託金相当額をデボラの当座預金口座に入金し、本件預託金の返還請求権は、弁済により消滅した。

(原告の主張)

(一) 非本旨弁済

デボラ代表者は、被告に対し、平成六年六月六日、本件預託金を現金で支払うよう請求していたにもかかわらず、被告は、デボラ代表者に何の説明もなく本件預託金をデボラの当座預金口座に入金する手続をとった。これは、債務の本旨に従った弁済ではない。

(二) 錯誤無効

被告の担当者は、平成六年六月六日、本件預託金の返還を受けるためには、これをいったんデボラの当座預金口座に入金する手続をとらなければならないかのように説明したため、デボラ代表者は、デボラの当座預金口座に入金するのであれば、入金後に自由に引き出すことができるものと誤信して右の手続に応じた。また、デボラ代表者は、本件預託金預り証の「上記預け金の返還を受けました」と記載された部分に記名押印したが、この「返還」が、当座預金に入金されることであることや、この手続が充当、相殺の手続につながることについての説明を受けておらず、その点についての認識は全くなかった。

したがって、本件預託金の弁済受領は、デボラの錯誤に基づくものであったから無効である。

原告は、本件預託金の返還請求権を差し押さえており、右のような錯誤無効を主張することは、デボラの意思に反することでもない。

2  相殺

(被告の主張)

(一) 被告は、デボラに対し、別紙債権目録≪省略≫記載一及び二の債権(以下、それぞれ「貸付金債権一、二」という。)を有していた。

(二) 被告は、平成六年六月七日、デボラとの間の平成元年二月一日付け銀行取引約定七条に基づき、デボラの当座預金口座から四六九万七七三〇円の払戻しを受けた上、貸付金債権一、二のうち既に弁済期の到来している次の債権に充当した。

(1) 三万円

貸付金債権二のうち、平成六年五月二〇日に弁済すべき金員

(2) 五一六三円

貸付金債権二の残元金のうち九五万円に対する平成六年五月二一日から同年六月二〇日まで年六・四パーセントの割合による利息金

(3) 二〇七円

右(1)の三万円に対する平成六年五月二一日から同年六月七日までの年一四パーセントの割合による損害金

(4) 四一六万七〇〇〇円

貸付金債権一のうち平成六年三月から同年五月までに弁済すべき三か月分の金員

(5) 四一万九一七六円

貸付金債権一のうち四〇二七万七〇〇〇円につき、平成六年三月二三日から同年四月二〇日まで、内金三八八八万八〇〇〇円につき同年四月二一日から同年五月二〇日まで、内金三七四九万九〇〇〇円につき同年五月二一日から平成六年六月二〇日まで各年四・三七五パーセントの割合による利息金

(6) 七万六一八四円

右(4)記載の四一六万七〇〇〇円の内金一三八万九〇〇〇円につき平成六年三月二三日から同年六月七日まで、内金一三八万九〇〇〇円につき同年四月二一日から同年六月七日まで、内金一三八万九〇〇〇円につき同年五月二一日から同年六月七日まで各年一四パーセントの割合による損害金

(三) 被告は、平成六年六月一三日、デボラの前記当座預金を解約した上、同年八月一九日、貸付金債権一及び二のうち次の債権をもって、デボラの右解約金債権八四万七五六八円とその対当額において相殺する旨の意思表示をした(この意思表示の事実は争いがない。以下「本件相殺」という。)。

(1) 二六万九六八四円

貸付金債権一の残金三七四九万九〇〇〇円に対する平成六年六月二一日から同年八月一九日まで年四・三七五パーセントの割合による利息金

(2) 五六万七八九〇円

貸付金債権二の残元金九五万円の内金

(3) 九九九四円

貸付金債権二の残元金九五万円に対する平成六年六月二一日から同年八月一九日まで年六・四パーセントの割合による利息金

(原告の主張)

(一) 原告は、デボラに対し、前記異議申立て以前から経済的な援助をしており、本件預託金も原告の資金によるものであって、被告の担当者も、この事実を知っていた。したがって、被告は、本件預託金をデボラに対する債権回収の引き当てにすべきではないものであった。

また、原告が用意した預託金が自働債権となることは、いわば棚ぼた的利益であり、これを自働債権として相殺によって債権の回収をはかれるなどという期待は、極めて不合理なものであって、保護されるべきものではない。

(二) 被告は、デボラに対する貸付金債権一及び二については、第三者の有する不動産に極度額五〇〇〇万円の根抵当権の設定を受けており、右担保物権から確実に回収することが可能であった。

(三) しかも、貸付金債権一及び二については、東京信用保証協会が保証していたものであり、被告は、右保証人から全額回収することが可能であった。

(四) しかるに、被告は、本件預託金の返還請求権を受働債権として本件相殺をしたものであり、これは、相殺権の濫用にあたるものとして無効である。

第三争点に対する判断

一  本件預託金の弁済について

1  争いのない事実及び証拠(≪証拠省略≫、証人D、同E、原告代表者)並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) デボラは、靴、鞄、皮革製品の企画、製造、販売を目的とする会社で、その仕入先であった原告は、デボラに対し、売掛金債権を有していたほか、手形・小切手の決済資金を提供をするなどの援助を行っており、本件預託金も、原告が資金を提供したものであった。

原告代表者は、平成六年五月二三日、被告の預金課長D(以下「D」という。)に対し、原告がデボラに経済的な援助を行っており、本件預託金も原告の資金であることを説明していた。

(二) しかし、原告は、デボラの建て直しは不可能と判断し、原告訴訟代理人とともに、平成六年六月三日、被告の渋谷支店に赴き、次長のFとDに面会し、本件預託金の返還を求めたが、Dは、デボラにしか返還できないことを説明するとともに、被告の手形交換事務取扱要領では、異議申立ての預託金の支払手続については取引先の当座預金口座に振替入金することとされていることから、返還の手続はデボラの当座預金口座に入金することを説明した。

そこで、デボラ代表者は、同月六日、被告の前記支店に赴き、Dに、本件手形・小切手についての異議申立ての取下げを依頼し、本件預託金の返還を求めた。Dは、デボラ代表者に対しても、本件預託金は、当座預金口座に振り込むことになることを説明をした。

(三) 本件手形・小切手の異議申立ての取下げに伴い、その異議申立提供金は、同月七日、手形交換所から被告に返還された。デボラ代表者は、同日、本件異議申立預託金預り証四通の「上記の預け金の返還を受けました」と記載された欄の下部にデボラの記名押印をした上、これをDに返還し、被告は、本件預託金相当額をデボラの当座預金に入金した。

(四) ところで、デボラは、被告に対し、本件預託金とは別に一〇〇万円を預けていたが、これについては、手形の決済資金にするか預託金とするかは未定のまま一時預かりとなっており、別段預金に入金されていて異議申立てのための預託金とはなっていなかったため、被告は、デボラの求めにより、同月六日、これを現金でデボラに返還した。

なお、デボラは、被告に対し、同日、本件預託金の返還請求権を株式会社ブローバーシューズに譲渡したとする債権譲渡通知書を内容証明郵便で発送したが、被告は、本件預託金返還請求権については譲渡禁止の特約が付されているとしてこれを拒絶した。

(五) デボラが平成元年二月一日付けで原告に差し入れた銀行取引約定書の第七条には、「期限の到来、期限の喪失(中略)その他の事由によって、貴行に対する債務を履行しなければならない場合には、その債務と私の預金掛金その他の債権とを、その債権の期限のいかんにかかわらず、いつでも貴行は相殺することができます」(一項)、「前項の相殺ができる場合には、貴行は事前の通知および所定の手続を省略し、私にかわり諸預け金の払戻しを受け、債務の弁済に充当することもできます」(二項)、との約定がある。

被告は、デボラに対し、貸付金債権一及び二を有していたところ、争点欄2(二)記載のとおり、平成六年六月七日、そのうち既に期限の到来している元金分(割賦金)、利息及び遅延損害金債権について、デボラの当座預金から払戻しを受け、その弁済に充当した。

(六) また、デボラは、同年六月一三日、取引停止処分となったため、被告は、当座預金取引契約に基づき、同日付けでデボラの当座預金を解約した上、同年八月一九日、争点欄2(三)記載のとおり、貸付金債権一及び二をもって、デボラの右解約金債権八四万七五六八円とその対当額において相殺する旨の意思表示をした。

2  右の事実によれば、本件預託金返還請求権は、被告が本件預託金相当額をデボラの当座預金口座に振り込むことにより、弁済により消滅したものと認められる。

原告は、デボラ代表者は本件預託金を現金で支払うよう請求していたにもかかわらず、被告は、何の説明もなく本件預託金をデボラの当座預金口座に入金する手続をとったとして、これを債務の本旨に従った弁済でない旨主張し、あるいは、被告の担当者は、本件預託金の返還を受けるためには、いったんこれをデボラの当座預金口座に入金する手続をとらなければならないかのように説明したため、デボラ代表者は、デボラの当座預金口座に入金するのであれば、入金後に自由に引き出すことができるものと誤信して右の手続をとったもので、この手続が充当や相殺につながることの認識はなかったとして錯誤の主張をしている。そして、証人Eの証言及び原告代表者本人尋問の結果中には、これらの主張に沿うかの部分もある。

しかしながら、前記認定事実によれば、デボラ代表者は、本件預託金の返還手続について、その債権者であるデボラの当座預金に振り込むことになっているという被告の取扱いについて説明をしているのであり、しかも、この事実は、デボラ代表者自身も認めているところであって、デボラ代表者が、あくまでも現金での返還を求めていたものとは認められない。

そうすると、デボラ代表者は、Dの説明により、本件預託金をデボラの当座預金口座に振り込むことを了解したことになるが、デボラは、被告に対し、貸付金債権一及び二の債務を負担しており、被告に差し入れていた銀行取引約定書には、前記のような弁済の充当あるいは相殺についての条項が存在したのであるから、異議申立手続が取り下げられ、本件手形・小切手が不渡りになるという状況においては、前記取引約定の条項に従って、本件預託金返還請求権について弁済充当あるいは相殺が行われることを予想していなかったとは直ちに認めがたいところであり、現に、デボラは、被告に対し、本件預託金の返還請求権を第三者に譲渡した旨の通知をしていることにも照らすと、デボラにおいて、原告が指摘するような点に誤解があったとは認め難い。仮に、デボラにおいて、これらの点について認識がなかったとしても、右のような事実からすると、十分に予測できたと考えられるところである。

したがって、原告の錯誤の主張は採用できないし、本件預託金の弁済が債務の本旨に従ったものでなかったとも認められず、これらの点に関する原告の主張は、いずれも採用することができない。

二  相殺権の濫用について

原告は、本件相殺が相殺権の濫用にあたるものである旨主張するが、前記のとおり、本件預託金は、デボラの当座預金口座に入金されることによって弁済されたものと認められるから、これによって、原告が本件において訴訟物とする本件預託金の返還請求権は消滅したことになる。

したがって、その後に被告が行った弁済充当及び相殺の効力については判断するまでもなく、原告の請求は理由がないことに帰着するが、前記認定事実によれば、Dは本件預託金の原資を原告が出捐したことを知っていたものではあるが、本件預託金の債権者はデボラなのであって、本件預託金の返還債務をデボラに対する他の債務と区別して取り扱うべき理由はないし、貸付金債権一及び二については別に担保あるいは信用保証協会の保証が付されていたとしても、その事実から本件相殺が濫用にあたるものとして許されないものとはいえない。

三  結論

以上によれば、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 端二三彦)

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